2026/10/05

(NO.1877) 朝のスタバでコーヒーを頼めない日 デコッパチ

毎年やってくる「健康診断」は、わたしにとって、なかなかくるしい。 

前日の夜九時を過ぎたら何もたべてはならないという拷問のようなおふれが出る。その朝だけは、スタバに朝寄ったとしてもミネラルウォーターを頼むしかない。10時ごろ、腹を空かせて健診センターにたどりつき、子牛のようにじっと順番を待つ。 

そして数ヶ月後、忘れた頃にやってくるのが「診断結果」という紙片だ。これもなかなかあやしい。血圧だの肝機能だの、前日にうっかり呑みすぎただの、ハラを立てただので変わる「その瞬間の数値」に過ぎないのではないのか?

 

しかし、基準値が厳しく設定されているためか、昨年の場合は、いくつか「要再検査」の文字が迫ってきた。その後、2か月ほど、もんもんとしたあげく、しぶしぶ2箇所ほどの病院を予約して、仕事を休んで病院へ行き、再検査した。費用としては、会社が一部はある程度補助してくれたが、補助してくれないものもある。しかし、検査は必ずしてね、ということである。なんだか矛盾しているような気もする。さんざん心配したあげく、結果としては、数日後に、「まあ、異常なしですね」、または来年まで様子をみましょう(少し気になる点も否定できず、来年またきてください(どういう意味か?!))という書類が来ておしまい。

 

毎年毎年、何千万人もの働くオッサンが自動的に「お客さん」として健診場へ送り込まれる。さらに、健診で「要再検査」の赤文字を乱発すれば、全国の病院に新たな客がなだれ込むという見事な二段ロケット構造である。

 

時間と費用をつかったあとの捨労感がのしかかってくる。一方で、なんともなかったという安心感、どうやら大病でなかったようだ、という解放感で、昨年の場合は、近くのデパートに行き、ついつい衝動買いをしてしまう。検査業界と百貨店はなんらかの協定があるのだろう。

 

とにかく、昨年は数ヶ月ほど心配で相当憂鬱であった。また、検査にもよるが、初めての、なかなか相当に恥ずかしい体験も含まれていた(病院側は、仕事であり、当たり前だが、かなり平然としている。)。こんな思いをするくらいならば、古代ギリシャの都市スパルタに生まれたほうがまし?であった。また、ポセイドンの怒りにより、何度も海の藻屑になりかけたオデュッセイアのほうがましであろう。

 

要手術だったら今頃入院していたかもしれず、天に感謝しなくてはいけないのかもしれない。しかし、感謝知らずのわたしは、いまとなっては、その時間を返してほしい、と我儘な気持ちでいる。さて、今後の反省点、今年の秋の対策としては、近日中に、藪医者であり、近所の行きつけ、かかりつけ医に、会社からきた検査結果を持って相談して、どうしたらよいか(場合によってはその場で検査してくれるかもしれない)、きいてみようと思う。または、紙切れを全く無視するか、である。宇野千代だったら、紙を破り捨て、引越していくのではないか? 猛烈な夏がようやく終わったものの、秋も悩みの季節であるようだ。

 


2026年10月4日 デコッパチ