銀座の松屋デパートの裏手に『鉢巻岡田』という料理屋がある。
路地からちょっと引っ込んでいるので、素通りしてしまうほど目立たない店だが、
冬のこの季節には鮟鱇鍋を食せる店として知られている。
作家の山口瞳や向田邦子などが贔屓にしていた店で、
特に山口瞳は「鉢巻岡田の鮟鱇を食べないと冬が来た気がしない」と絶賛している。
店の中に入ると、無垢の白木のカウンターが目に飛び込んでくる。
磨き抜かれた檜の厚い板には煙草の焦げ跡すらない。
そのカウンターの端にはダイヤル式の黒電話が置かれている。
鴨居の上には酉の市で買い求めたと思われる、
真新しい縁起物の熊手が飾ってある。
それは懐かしい昭和の時代を彷彿するもので、
小津安二郎監督の映画のセットの雰囲気すら感じられる。
酒は樽酒で清々しい木の香りを愉しめる。
ぬる燗にすると香りが更に際立つ気がする。
グツグツと鮟鱇の煮える音を聞きながら呑む酒は、
まさに至福の一時である。
今年一年の様々な怨念も鍋の中に入れたらいい。
堕落、悔恨、凡打、失策、呆けなども一緒に煮込むがいい。
最後の具は懺悔(ざんげ)になるだろうか。
何もしなかった。
何も出来なかった。
何も、何も・・ 年末恒例の嘆き事である。
『鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな』万太郎
15/師走/2025 山田 雄正