以前にも触れましたが(2018年1月)、我が家には、お鳥さまがいる。すこし青が混じった緑色のセキセイインコである。
彼は大変だいじにされている。毎日、餌を与えられていることはもちろん、そのエサも、家族が毎日すり鉢で、ごりごりすったり、ブレンドしているのである。下敷のシートも毎日交換され、清潔この上ない。
夏、誰もいないとき、彼だけのときは、冷房をつけっぱなしである。これまで見向きもされなかった空気清浄機も、彼が来てから置いてある。
家族全員が、一泊以上の旅行に行くときは大変である。ペットショップに数日預けるために、鳥カゴごと持っていく。旅から帰ると、お迎えにあがる。
彼、マメルくんは、かなりひとなつこい。また、カゴの外がたいへん大好きである。自分を人間だと思っているふしがある。カゴから出して欲しいときは、輝いていた時代の労働組合のように、断固とした要求をしてくる。
カゴから出してやると、居間全体を飛び回り、あらゆるところをうろうろしている。床も歩いている。昼寝していると枕元にきたりする。窓が空いていても、なぜか、外に逃げない。君の種族のなかには、2万キロ以上も移動する者もいるのに、不思議である。
家族の肩にのると、鷹匠と鷹のように一体化している。家族は、マメルに対し、「かじれ!」と、わたしへの攻撃指令を出すが、指令を理解できず、鷹や梟ほど頭がいいわけではなく、私にはたいへん助かっている。バビル二世とロデオの関係には、あと100年を要しよう。
しかし、そこそこ頭が良いようで、テリトリーが決まっている。カゴ以外で、2、3カ所がお気に入りの場所があり、物思いにふけっている。最近では、セカンドハウス、別宅もあり、小さな紙袋にちり紙をしき詰めた空間を、いたく気に入っている。そこはかれにとって秘密基地、聖域のようである。そこにいるときは、まことに幸せそうである。うらやましいかぎりである。人間が、安息の地を求めて四苦八苦していたり、諍いを起こしたり、戦争に至る場合もあるのに、幸せすぎるではないか。
きみは、年金問題やローンに悩むこともない。人間との会話において行間を読んで答えたり、忖度する必要もない。しかし、コーヒーゼリーやプリン、ホットケーキ、などの美味は知らないであろう。静かなカフェで、ほっこりと新聞をよむこともないのであろう。インドにチベットの臨時政府があることにも関心がないようだ。コーヒーの漆黒に、ミルクを一滴入れたあと、極めて複雑な幾何学模様が映像的にでてくることに驚くこともないのだろうか。今後は、わたしをかじらなくてもよいのではないか。
2019年7月17日 デコッパチ