2025/07/04

(NO.1738) 夏になると  小山伸二

こども時代の夏の思い出は、死者たちとつながっている。 

お盆の季節、親戚たちが集まって。お盆の食事をする。 

死んだひとにこころを寄せ、男たちは焼酎を飲み、女たちはお喋りを続ける。

そんな夏を過ごしたものだ。

 

鹿児島県の大隅半島のお盆の食事。

甘いお寿司(混ぜご飯)は、桜でんぶとぴりりと塩っぱい紅生姜を散りばめられて。

そして、精進出汁の素麺をすする。

こどもにも、ちょっぴりの赤玉ポートワイン。

そして、大玉のスイカ。

 

もう、あの夏に居た大人たちは、だれもかれも、この世から居なくなってしまったが。

 

そして、気がついたらぼくは、あの頃の大人たちの年齢に追いついて、追い越そうとしている。


いつも死んでいくのは、ぼくよりずっと年上のひとたちだったのに、いつのまにか、ぼくよりも年若い友人のいくにんもが、旅立ってしまった。

 

月の山にひとあし先に旅立っていったひとたちの魂はどこへ行くのだろう。

それぞれの月の山に行くのだろうか。

 

いまぼくの住む町から、遠くレバノンのベイルートから、山形の鶴岡からも。


そんなかれらを偲ぶ夏がことしもやって来た。

 

この夏、ぼくは5冊目の詩集を出版する。

詩集全体が、追悼の詩を中心に構成することにした。

タイトルは、きっと『月の山』となるだろう。死んだ者たちの魂が帰る山としての「月の山」だ。

 

そして、この第5詩集を携え、9月には仲間たちと山形の月山に追悼登山に行くことになる。

 

 

2025年7月3日   小山 伸二