2026/07/21

(NO.1853) ぼくたちの「終末」 小山伸二

いつもの決め台詞。 

このコーナーのコラム、長らくの留守だった(笑)。 

北半球には、今年も猛烈な夏がやって来ている7月も半ばを遠にすぎて。

 

さて、蒸し暑い日、ぼくたちには映画館がある。

そして、2026年、次々にすごい映画がやって来ている。これは、嬉しいことに違いない。

 

この数ヶ月で観た中で強く心に残っている3作品『サンキュー、チャック』『プロジェクト・フェイル・メアリー』『急に具合が悪くなる』だった。

この3作に共通しているのは、それぞれ書籍が原作の作品である、ということ。

そして、だからこそ、本にできることと、映画にできることに想いがいたる。映画というものが、いかに、おおきな「容れ物」であるかがわかる。とくに、配信ではなく、暗闇のなか複数人と鑑賞する映画館という場所において。

 

たしかに、公開時期や原作の有無といった表面的な共通点だけでなく、物語の「芯」にあるテーマ(内容面)に目を向けると、この3作品には非常に深く、そして美しい共通点が通底していますね。

そして、この3作品に共通しているテーマが、「生きること」と「死ぬこと」だったのではないだろうか。

もちろん切り口は三者三様だが、核心の部分で強く響き合っている。

その共通点をあげてみよう。

 

まずは、「個人の終わり」と「世界の終わり」のシンクロ。

『サンキュー、チャック』では、ひとりの男(チャック)の人生の終焉が、そのまま世界の崩壊(世界、宇宙の終わり)とシンクロしていく様を、逆行する時間軸で描いる。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』では、太陽の危機による「地球の終わり(人類の滅亡)」を阻止するため、主人公が宇宙の果てで孤独なミッションに挑む。

『急に具合が悪くなる』癌の転移を告げられ、文字通り「自らの死(人生の終わり)」がいつ訪れてもおかしくない中で、残された時間をどう生きるかが綴られる。

 

そして「絶望的な孤独」の中で出会う、かけがえのない他者、という点において。

どの作品も、ただ終わりを待つだけの絶望では終わらない。そこには必ず「他者との魂の交流」が用意されている。そのことで、映画を観おわったあとに、しみじみと、生きてあることの喜びのようなものが、わきあがってくるのだ。

『サンキュー、チャック』では、終わりゆく世界の中で人々が、会ったこともない未知の(普遍的な)チャックという存在に「感謝(サンキュー)」を捧げ、彼の生きた証を肯定する。そのことが、自らの有限の生への肯定にも繋がっていく。

『ヘイル・メアリー』では、宇宙でひとりっきりだと思っていた主人公が、まったく異なる言語・身体を持つ「異星人の相棒」と出会い、種族を超えたユーモラスで、奇跡的な友情を育むことになる。

『急に具合が悪くなる』では、死に直面している演劇の演出家と、それを受け止める人類学を学んだ老人介護施設のディレクターが、短い時間のなかで「言葉のキャッチボール」を通じて、互いの存在を深く刻んでいく。

 

一見すると、3作品はバラバラの印象を与えるが、どれも「人間、ひとりでは抱えきれないほどの巨大な『終わり』に直面したとき、それでも誰かと繋がり合おうとする切実な営み」を描いているという点において、この3作には、力強い通奏低音が流れている。

 

 

『サンキュー、チャック(The Life of Chuck)』(2024・アメリカ)。

監督:マイク・フラナガン

主演:トーマス・ウィリアム・ヒドルストン

原作:スティーヴン・キング『チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ』

 

『プロジェクト・ヘイル・メアリー(Project Hail Mary)』(2026・アメリカ)

監督:フィル・ロード&クリス・ミラー

主演:ライアン・ゴズリング

原作:アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

 

『急に具合が悪くなる』(202・国際共同製作)

監督:濱口竜介 

主演:岡本多緒、ヴィルジニー・エフィラ

原作:宮野真生子・磯野真穂:往復書簡『急に具合が悪くなる』

 

 

2026年7月20日 小山伸二