2026/04/28

(NO.1830) 利休   デコッパチ

利休の映画はいくつもあるが、1989年に公開された勅使河原宏監督の作品、「利休」が秀逸だ。派手な戦闘シーンはないが、当時の情景、堺の様相、豊臣秀吉との確執、秀長の面持ち、何よりも映画芸術の粋・到達点みたいなものに近い。日本経済がバブル期にあった局面で作成された要素も働いたかもしれない。 

茶道を習ったことはないが、茶室という空間の美や、緊張感が迫ってくる。映画制作を志そうとしている人、喫茶店を始めようかと考えている人、美とは何だろうか、桃山時代はどうして長く続かなかったのか、と思っている人がいたら、処方箋として、一度は観ておくべき映画の一つかと思われる。私自身は、数年ごとにどうしても見てしまう映画。興行的には名探偵コナン映画群にかなわないであろうが、松竹映画の一つの金字塔であろう。

テレビの大河ドラマには感謝しているが、毎回みるたびに、映像とは、もしかしたらこのようなものではないのではないかしら、という気持ちになる(もちろん、1年間続ける物語を制作している方々はさぞや大変だとは思います)。2時間弱の時間軸である映画という総合芸術の凄さが、確かに時々は存在するのである。やはり、映画にしかできないことは、まだまだあるのではないかな、と感じる。

この映画(『利休』)は、勅使河原宏監督が、戦国時代の茶聖・千利休の生涯を描いたもの。主演の三國連太郎さんが見せた演技は、今なお「利休の実像に最も近い」と称されるほど圧倒的な存在感である。三國さんは、単なる「茶道の家元」ではなく、時の権力者・豊臣秀吉(山崎努)と渡り合う芸術家としての業を体現している。深い皺、重みのある沈黙が、静寂のなかの凄みを表現する。

山崎努さん演じる、派手好きな秀吉に対し、三國さんの利休は「美」という独自の刀で立ち向かう。ただ、この二人の演技は、邦画史に残るほどの緊張感であり、緊張のため、こちらとしては、ぐったりしてしまうかもしれない。しかし、歌舞伎界の名だたる俳優がずらーっとでてきます!

秀吉は利休を大きく利用しながらも、戦国大名たちを心酔させてしまう利休の何かに対して、嫉妬が徐々に膨らんで行く。そのような中、利休を快く思わない近江派(石田三成など)の圧力が次第に増していく。これは権力闘争(近江派 VS 利休・秀長派)の映画でもある。

https://youtu.be/reBIz3Gz-2w?si=QpVC7GTRdDLMBqny

映画全体としては、非常に高い美意識で構成されている。勅使河原監督は草月流の三代目家元。劇中の生け花、茶室の設え、衣装、小道具のすべてが生きており、他の映画では考えられないような存在感がある。家元である勅使河原監督にとって、空間に花を生けることと、スクリーンの中に被写体を配置することは同義に見える。とにかく美しい。人間たちが、それらを配置したのではあるが、ここまでくると、人間たちが、茶器や生け花によって配置され、動かされているように思える。

ストーリーを追うだけではなく、絵画を眺めるように、空間そのものの連続を眺めていくだけでも、この監督の美意識に触れることができるのではないかと思う。特に、何度か出てくる竹林の映像と色彩は、どうやったらこのような映像が作れるのか全く不思議である。

この映画の中で、豊臣秀長は、利休の強い味方である。兄である秀吉と利休の間に立つ、温厚で思慮深い調停役である。しかし、秀長の死後、バランスは崩れ、利休はどんどん窮地に陥っていく。細川氏や織部氏は、残念ながら利休を救うことができるほどの力は、その時は、なかったもようである。最後の最後でも、一言、詫びを秀吉に言えば助かったものの(秀吉はそれを待っていた)、利休のプライドはどうしてもできなかったようである。


2026年4月28日 デコッパチ