コーヒー豆の価格がこれほど上がっているのに、なぜ選挙で大きな議論にならないのか。嗜好品という枠組みで見なされており、「主食(コメ)」や「生活のインフラ(電気・ガス)」ほど政治的な緊急性が低いと判断されているのかもしれない。
選挙で最も票に結びつくのは、「生活に直結する実需品」である。コーヒーは多くの人にとって不可欠な存在だが、統計上の分類は「嗜好品」。そのため、「高ければ飲む量を減らせばいい」という自己責任論に落ち着きやすい。政治家が「コーヒーの価格を下げます!」と公約に掲げても、大きな支持には繋がりにくいかもしれない。しかし、私にとっては実需品だ。嗜好品ではないのである。
昨今の争点が「物価高全体」に飲み込まれている現在、選挙の争点は「コーヒー豆」というピンポイントなものになりにくい。また、「2050年問題」がまだ遠い未来に見えていることもあろう。コーヒーが飲めなくなるリスク(気候変動)は、本来は環境政策としてもっと議論されるべき。しかし、日本の選挙では「今月の家計」が優先されやすい。
異常気象や国際相場など、日本の政治で解決できる幅が狭いこと、「コーヒーを安く」は政治スローガンとしてインパクトが弱いこともあろう。しかし、コーヒー豆の価格上昇は「気候変動」や「グローバルな格差」という、現代社会が抱える問題の縮図。これが争点にならないということは、裏を返せば、「食料の安全保障」という本質的な議論がまだ深まっていないのかもしれない。
もし仮に、コーヒーが「1杯1,000円」が当たり前の世の中になったら、さすがに選挙の争点になる日が来るのではないか。
「コーヒー党」が万が一、結成されるとすれば、憲章は以下のようなものだろうか。
第1条:対話の優先(Brewing Dialogue)
我々は、いかなる対立においても、まずは一杯のコーヒーを供することを誓う。沸騰した感情を適切な温度まで下げ、香りの助けを受ける。
第2条:多様性のブレンド(Harmony in Blend)
異なる意見が共鳴し合う「ブレンド社会」の実現を目指す。
第3条:休息の権利(The Right to Coffee Break)
過度な効率主義を排し、すべての国民に「思索のための休息(コーヒーブレイク)」を保障する。
第4条:透明性の確保(Black & Clear)
政治資金および意思決定プロセスは、ブラックコーヒーのごとく不純物がない透明な状態を維持する。
党のビジョン:
「一杯のコーヒーを飲む時間さえあれば、なにかが進む、かもしれない」
2026年1月30日 デコッパチ