2026/01/09

(NO.1797) 晩餐会、ワイン、コーヒー   デコッパチ

「食事になにが出てこようとも、食べ物や飲み物の話や感想はいっさいしないと誓おう」(バベットの晩餐会(1987年)) 

晩餐は、芸術になりうるし、つくる人によっては芸術になる。最後にコーヒーもちょっこり出てきます。米国映画のジョンウィック・シリーズやスターウォーズ・シリーズ、タランティーノ監督作品群のような、騙し合い、戦争に疲れたかたがたにお薦めかもしれない。食事、ワインがいとおしくなる映画である。 

フランス革命前のデンマークの辺境の地。プロテスタントの牧師がいて、その娘姉妹がいる。 

まずは、地元の若者が恋に落ちるが、牧師から、私の大事な信仰の腕を奪わないでくれと、断られる。  

次に、貴族の軍人が、ユトランド半島ですこし頭を冷やせと言われて、この寒村にやってくる。馬で散歩している際に心を撃ち抜かれる。何回か教会に通うが、ある日、突然と軍務に帰り、一心不乱に働き始め、やがて将軍になる。本当に愛する場合には、言えない場合があるのである。つぎに、パリから著名なオペラ歌手が休暇でやってくる。姉妹のひとりにパリの舞台に立てる才能を見出し、熱心に歌を教えるが、やがて失意のなか、パリに帰る。

二人とも恋や才能の発掘にやぶれるのだが、その要因が、厳然とした牧師の雰囲気なのか、姉妹の信仰なのか、寒村におけるコミュニティなのか、曖昧模糊に描かれている。映画しか出せない間、呼吸、沈黙、表情、数ミリの身体の表現などが、さりげなく語りかけてくる。

そして、約30年後、超有名高級店のシェフであったバベットがやってくる。フランス革命やパリ・コミューンで、家族を亡くし、自らも迫害を逃れてきたのだ。オペラ歌手の手紙とともに。どうかここに住まわせてほしいとの訴えに、余裕がないため、姉妹はいったんは断るが、行くあてのないバベットの痩せた姿をみて、姉妹は一瞬で、何かを感じ、了承する。

姉妹が一心同体のように、無言で瞬時に決断する場面は、この映画においては、これを含めて2回ほどある。ここ十数年の映画で経験できなかったような、良き場面である。このような表現は、映画にしかできない。

この0.51秒ほどの「・・・」。これはAIにはできないし、無数の感情の流れが含まれている。姉妹は、重要で覚悟のいる決断を、叡智を超えた結末につながるものを、ふとした直感にしたがってするのである。

米国映画には未来永劫できない作風の映画かもしれない。映画の後半で、1万フランの宝くじを当てたバベットは、晩餐会の準備のために、ウミガメ、ウズラなどの食材を買い出しに行き、戻ってくる。プロテスタントの寒村は、なにかおそろしいことが起きると勘違いする。


 

2026年1月9日 デコッパチ