ちまたで「スパルタ」という言葉をよく聞く。しかし、古代ギリシャに存在した都市国家スパルタの実態を知ると、それが、国家が滅んだ後でも、二千数百年以上もイメージが残り続け、紀元後2025年のアジアの端の日本においても、脈々と言葉が残る理由に納得する。
今日でも、いわゆるスパルタ式の訓練が、スポーツ界や多くの分野・場面で行われているのではないかと思う。しかし、当時のスパルタは、武勇や軍事力で恐れられ、ギリシャにおける覇権国家であったものの、その憲法や体制ゆえの頑迷さ、閉鎖性、思考停止に近い体質(貨幣は金貨ではなく鉄貨。そのため、他国から商人は自然と来なくなる)も若干あった。オリンピックにもあまり興味が薄い。結局、輝きを失ったアテネとともに共倒れとなり、ギリシャ世界の衰退の要因になってしまった。しかし、西洋文化の基礎を築いたギリシャ文明圏のなかで、特異な存在ながらも、寡黙な、大きな一翼を担い、やがて衰退した流れは、偉大な?しくじり先生として、示唆に富む。この都市国家を構成していたのは三階層で、①スパルタ市民、②ペリオイコイ(手工業や商業に従事)、③ヘロット(農作業や牧畜などに従事。戦場に駆り出されるときは、虎の子である一万人ほどの重装歩兵の身の回りの世話などをする)に分かれる。スパルタの都市内にスパルタ人が住み、その外側に農耕地にはヘロットが住み、そのまた外側をペリオイコイが住んだ。
スパルタ市民は市民権・参政権を持つものの、男性の場合は軍務が主な仕事。国政参与の権利も持つが、男子だったら、大半の人は軍務で殆どの一生がおわる。まずは、生まれた時が試練。生まれた段階で厳しい審査を受ける。その後、七歳までは母親のもとで育てられるが、七歳からは集団生活。それは主に、武術の訓練で過ぎていく。眠るだけの寄宿舎も簡素なテント。地面に直に置かれたマットレスでねむる。ご飯は、お世辞にも美味いとはいえない。
ひどい環境で、非常に厳しい訓練、劣悪な食事に耐えた者がスパルタ戦士になれるようだ。加えて、二十歳の時の通過儀礼が凄まじい。多少の武器とともに、半裸体で山野に放り出され、七日間生き抜くことを求められる。しかも七日を生き抜いたあとは、人をひとり殺めて、その証拠を持ってきて、そこで初めて成人と認められるのだ(なんということであろうか)。
そして、三十歳になると、寄宿舎の外に家庭を持つことができるが、夜には寄宿舎に戻らなければならない(六十歳頃までそれが続くのだ)。詳しくは塩野七生さんの「ギリシア人の物語」をお読みください。今、私は日本に住み、税金などに悩み、会社の人間関係に思い悩み、酷暑に戸惑うなど、いろいろと悩みは尽きない。しかし、かといって当時のスパルタ市民の生活もなかなか厳しそうである。税金は軽かったかもしれない。格差も少なかったかもしれない。しかし、ケーキもコーヒーもアイスもないし、旅もできない。酒は飲んだのだろうか。お花見、忘年会という概念はあったのだろうか。なにはともあれ、ここ最近は、スパルタ人が頭からなかなか離れない。
2025年12月4日 デコッパチ