2025/09/03

(NO.1758) 終わらない夏に    小山伸二

終わらない夏といっしょに、いつのまにか9月に突入していた。

8月はぼくにとっては、誕生月。で、こども時代は、夏休みが終わる2日前が自分の誕生日だということの不幸をいつも抱えていた。 

 だって、8月30日。楽しい夏休みもあと二日。しかも、宿題はまだ終わっていない。 

きっと友だちもたいへんな時期に違いない。 ただでさえ夏休み中、友だちとも会わない時期の誕生日。

お誕生会なんて、仲間うちでやってもらったことなんか、ない(家族では、ほそぼそと、そういう習慣はあったかもしれないが、あんまり記憶にない)。

というわけで、8月はなんだかほろ苦いコーヒーのような季節でもあるが、まあ、大人になってからは「夏休み」と呼べるような長期休暇があるわけでもなく、平常運転のなかで、8月30日を迎えるのだから、年によっては、仕事仲間を中心に、なんちゃって「お誕生会」をやってもらえる機会も増えた。

還暦のときなんか、職場の若いひとたちに、赤い「還暦Tシャツとパンツ、靴下」セットなんてもらったりして。

ところが、サラリーマンを辞め、フリーランスになってみると、毎日が夏休みでもあり、日常的に家族以外の人間に会うこともなくなっているので、「誕生日」は、当然、家族内(しかもいまは、家人と二人っきり)でのささやかなイベントとも呼べないものになる。

別に、そのことになんの不満もないけれど。

ちなみに、今年の誕生日には家人から、おもしろいTシャツをプレゼントされた。

真っ白なTシャツに、メガネをかけたネズミのようなおじが、ごろりと寝っ転がって「人生、9割り、シャレです」という迷言?がプリントされている。

「9割り」の割に「り」という送り仮名がふられているあたりが、間抜けな味を出しているが、まあ、これは、家人のぼくの人生に対する野次、揶揄、皮肉であるなんて、思わないことにしよう(家内安全のために)。

さて、こうやってコラムにわざわざ誕生日のことを話題にするところをみると、まったく、なんにも思っていないわけでもない。まあ、人間って、かくもめんどくさい存在なんだなあ、って呑気に考えていても、平日の午後、締め切りを大幅に超過している原稿のことを気にしながら、だらだらと、家で好きなJAZZを聴きながら、本を読んでいるわけで。

そんな日常の中、SNSのなかだけは、にぎやかに、かつての(もちろん今もリアルに繋がっている友人たちもいるが)知り合いから、ばんばん、「お誕生日おめでとう!」というデフォルトの挨拶が届く。

そんな日常を、21世紀、25番目の終わらない夏を過ごしている、いまどきの67歳は生活しているんだね。

 

2025年9月3日  小山 伸二