社会人として世に出たのは昭和43年の春だった。
その当時の会社の課長以上の上司は誰もが兵士として召集され、
中国大陸や南方方面に出兵した戦争体験者で、
シベリアに抑留されていた人も上司の一人だった。
生死の境を生き抜いて来たような人は人格さえ一変するものだが、
当時の大人は穏やかな人柄の人が多かった。
逆に未熟者の青二才の若造の方が突っ張っていた。
その最たるものが学生運動だったかもしれない。
何が不満で運動を起こしたのか分からないが、
不平や不満なら戦争体験者がいちばん強く持っていたはずだ。
しかし当時の大人たちは黙して多くを語らなかった。
新人の若造に対しても説教や叱るようなこともなく、
「まぁ、一杯呑めや」と酌をしてくれるだけであった。
無言での対応は大人の対応でもあった。
ハネッ返りだった自身の行動や言動は、
後年になって気付いて恥入る思いになるのである。
今年は終戦から80年目の年になるが、
多くの戦争体験者は愚痴や不満など言わずに黙々と働いて、
無言のまま逝ってしまった。
04/葉月/2025 山田 雄正