2025/08/04

(NO.1748) 無言の人たち    山田雄正

 

社会人として世に出たのは昭和43年の春だった。 

 

その当時の会社の課長以上の上司は誰もが兵士として召集され、 

中国大陸や南方方面に出兵した戦争体験者で、 

シベリアに抑留されていた人も上司の一人だった。 

 

生死の境を生き抜いて来たような人は人格さえ一変するものだが、 

当時の大人は穏やかな人柄の人が多かった。 

 

逆に未熟者の青二才の若造の方が突っ張っていた。

その最たるものが学生運動だったかもしれない。

 

何が不満で運動を起こしたのか分からないが、

不平や不満なら戦争体験者がいちばん強く持っていたはずだ。

しかし当時の大人たちは黙して多くを語らなかった。

 

新人の若造に対しても説教や叱るようなこともなく、

「まぁ、一杯呑めや」と酌をしてくれるだけであった。

 

無言での対応は大人の対応でもあった。

 

ハネッ返りだった自身の行動や言動は、

後年になって気付いて恥入る思いになるのである。

 

今年は終戦から80年目の年になるが、

多くの戦争体験者は愚痴や不満など言わずに黙々と働いて、

無言のまま逝ってしまった。

 

 

04/葉月/2025       山田 雄正