それは昭和の時代の終りの頃だった。
日本経済は活況を呈し、株や不動産は高騰して、
銀座のクラブは社用族で連日賑わい、
得意先を接待したり、また接待されたりの華やいだ日々であった。
ホステス嬢はどこのクラブからも引く手あまたで、
女子大生が内緒でアルバイトをしていた時代でもあった。
“淳子”という名のホステスもその一人で、
彼女は日本文学史を専攻している現役の国大生だった。
クラブのホステというものは、可愛い顔立ちとは裏腹に、
愛想よく微笑みながらも客の品定めをしっかりとして、
客の話す内容で瞬時に知識や教養の査定評価しているものである。
淳子も同じように悪戯っぽい眼差しで客の教養度をチェックしていた。
「ねぇ、ねぇ、“だいぶつじろう”って名前の作家知ってます?」と、
故意に間違った名前で客に問題を投げ掛けるのである。
「んっ・・? だいぶつ? じろう?」と、客が首を傾げて間違いを指摘しなければ、教養テストの査定評価はこれで決定する。
“だいぶつじろう”とは、大佛次郎のことで、“おさらぎじろう”と言う。
鞍馬天狗の作者で、横浜の外人墓地の近くにその記念館が在る。
当時の客層の年齢からすれば、鞍馬天狗を知らない人はいなかったはずである。
それでも作家の大佛次郎を“おさらぎじろう”と正しく答える客は少なかったようだ。
「会社の重役さんのような偉い人ばかりだけど、何も知らないのよね」
教養のないことをホステスの淳子にあっさりと見破られていた。
鞍馬天狗がこの話を聞いたら何と言うだろう。
「杉作、日本に夜明けは・・ 来ないかもしれないね」と、嘆き哀しむことだろう。
14/文月/2025 山田 雄正