ぼくの住んでいる町には大学があって、その東校舎と西校舎の間を南北に大学通りが走っている。
片側二車線、しかも車道と歩道の間には、贅沢に緑地帯が置かれていて、桜と銀杏の樹が交互に植えられている。しかも、歩道を照らす街灯はフランスから輸入されたおしゃれな作り。
当然、桜の季節になると地元の人間だけではなく、近隣からわざわざ花見をしに客が押し寄せる。
大学通り唯一の歩道橋が撮影スポットになっているようで、この時期、すごい数のひとが歩道橋に登り、スマホで撮影する。事故にならないか、心配なくらいに。
んなわけで、地元民としては、やや複雑な気持ちになる。
普段は、そんなに人通りがあるわけでもなく、夜ともなると、ひとっ子ひとりいない通りを独り占めして、ぷらぷらと散歩できるのだが。
桜の季節になると、桜の樹々はライトアップされる。
樹齢五十年はゆうに越えているソメイヨシノは、だいぶ、弱ってきていて、花つきももりもりというわけにはいかず、やや淋しい感じ。
ただ、その淋しげな風情も、夜、遅い時刻、それなりに人出がひいたあと眺めると悪くない。
また、ヤマザクラ、ベニシダレ、オオシマザクラと、それぞれ色合いも枝ぶりも違う桜がときどき植っていて、それはそれで、楽しむことができる。
桜の木の下で、酒盛りするひとたちがいる。
高齢化している町らしく、酒盛りもおとなしいものだが。
そんなひとたちをぼんやりとやり過ごしながら、ひとり散歩していると、この町に住んで35年が経ったこと、そのあいだに、出会った人たち。
そして、ぼくよりひと足に天に帰って行ったひとたちのことを、おのずと思い出したりもする。
そうだ、桜の樹の下には屍体が埋まっているんだ。魂は天に帰っていっても、体だったものは「桜の樹」の下に。
梶井基次郎は書いていたね。
「これは信じていいことなんだよ」って。
「何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」
うむ。人が死んで、かつて体だったものが、美しくも儚い花を咲かせる幻視、悪くないかもね。
まだ飲んでいないのに、歩きながら、ぼくはちょっと酔ったみたいだ。
2025年4月1日 小山伸二