2025/03/31

(NO.1704) 天寿を全う   デコッパチ

よく履いている革靴が晩年にさしかかってきた。履いている身としても、何度か修理したものの、どうも天寿が近い様相。とりあえず、靴屋さんにはいる。 

ぜったいに買わなければならないというわけではないため、最初は、迷いがちに、遠くから、ななめに眺めていた。しかし、店員さんがスニーカーのように、音もなく、いつのまにか近づき、説明をはじめる。きいているうちに、なんだか買う雰囲気になってしまう。

サイズは何をお持ちしますか?ときいてくる。これに答えたら、もう逃げられないのであろう。おまけに、くつの紐をいそいそと結んでくれる。もう、買うしかないではないか、、、。ちなみに、コーヒーの注文は、このように追い込んでこないと思う。

コーヒーの注文とは、かなり様相が異なる。また、買うにしても、なかなか、きちんと足や感覚に合うもに出会うのが難しい商品でもある。長く付き合うことにもなる。毎度のことだが、なぜ、靴やジーパンなどの注文はこのように、エネルギーがいるのだろうか。セミオーダーのスーツだったら、もし、馴染みのお店だったら、世間話でもしながら、とんとん拍子に進む。本だったら、気が合えば買えばよいわけだし、積んでおくこともできる。コーヒーだったら、座って、おちついてから、頼めばいいのだ。

そういえば、わたしの数少ない、ジョギングシューズや、通勤用の革靴、登山靴は、買ったときの経緯や、かわした言葉がほとんど全部が記憶に残る。仕事において、必要なこと、プレゼンに必要な組み立てや知識はなかなか頭に入らないのに、まことに不思議である。

靴の購入というのは、殆どが、買ったあとも、履き心地にささやかな、あるいは問題らしきもの、または意外な満足感が出てくる。靴や傘は、衣服の数倍、コーヒー購買の0.5倍ほど重要なものであるのではないだろうか。

ということで、4月に向けて、新しい相棒が交代。しかし、前の靴より軽いのがやや気になる、、、。少し重いのを買いに、再度、店を訪れることになるのであろう。理想の靴に出会うのはまだ先のことか。地球と私たちの唯一の接点である靴というものを売る店が、この世で小さくない繁栄を謳歌?している小さくない理由は、私たちが歩き続けるかぎり、明瞭に存在している。


2025年4月1日  デコッパチ