2021/02/08

(NO.1251) もう新型ではない 1年過ぎて。。。 涼村 行

先日、あるネットのTVオンデマンドで、昔懐かしい連続ドラマを見終えた。それは、1980年代後半のまさに日本がバブル経済真っただ中の昭和が間もなく終わろうとしている時代に放映され、人気を博したドラマで、シンガーソングライターの長渕剛主演の“とんぼ”というドラマである。共演は秋吉久美子、植木等、哀川翔などの個性派俳優がドラマを引き立てていた。 

そのドラマで最も印象的だったのは、植木等がのれんを構える小さな居酒屋のカウンターで刑務所帰りの長渕剛が“今のこの世の中は何か変っちまってしっくりこない”というセリフに、店の主人の植木等が黙ってうなずくシーン。 

そして、最終回のエンディングで、組員の報復を受けて新宿の人ごみの中で、長渕剛が背中を刺され、流血しながらも愛する女性と産まれてくる子の為に生きようと必死にもがく姿。そして、それを見ても通りすがりの人たちは、誰も声を掛けもしなければ、助けようとも、救急車を呼ぼうともしないで黙ってみている光景。

そして、翻って令和が始まったばかりの現在。 

昨年1月に国内で初めての発症者が出てから1年が経過した。

正直、近年メディアが大きくが取り上げたいくつかの感染症に比べて、ここまで長丁場になるとは思わなかった。

だが、ようやくワクチン接種が海外でも広く行われるようになり、いよいよ収束に向かうのかという期待を、今全員が感じているところであろう。しかし、このワクチンも従来のものとは異なり、あまりに短期間での臨床試験で認可されたということから、不安を抱く人たちも決して少なくないようだ。

ワクチンの効果の有無については、今ここで述べることはできないが、それでも1年過ぎてようやく、元の生活に少しずつでも戻れると、光明が差してきたことだけは確かである。

一方では、この1年間今回の騒動の渦中に居て違和感だけが残った。

Covid-19と名付けられたウイルスに対して、1年前から今もなお我々国民が本当はどのように対処すべきなのか、未だに良く見えてこないのだ。そんなことは無い。マスクをした。手洗いうがいを徹底した。人との接触を減らした。自宅で自粛した。というのは間違いない。

しかし、医療現場で無症状の陽性者と感染者、発症者が皆同じカテゴリーで分類され、入院、自宅療養をする。病棟では一部医療従事者の方々が懸命に日々身も心も疲弊されて治療にあたられている。一方では、発熱などの症状があっても2類感染症指定医では無いということで、診療しないところも存在する。

同時に酷いことに、結果として自宅で療養中に悪化したり、不幸にもお亡くなりになられる方もおられる。

本来であれば、この1年間の医療現場でのデーターの蓄積を広く国民に知らせて、何が今我々にとって最優先になすべき事かの判断材料が示されなければならないのではないか?

このような状況にあって、真っ先に声を上げて、国民が幸せな人生を送れるように導くべき国のリーダーの方々、否、あえて言えば我々国民一人一人も同様かもしれない。

いつしか、誰も何も言わなくなってしまった。

話は戻るが、これは先のドラマの中のセリフ、何か世の中が変わっちまって…”という事なのだろうか?

ある高名な大学教授の方がご自身のブログで、この世の中は30年周期で大きく変化し、昨年2020年がちょうど1990年のバブル崩壊の時期から続いたトレンドの変換点であるということを言われていたのを思い出す。

あまりに短絡的な発想かもしれないが、今実感するのは、先のドラマの最終回のエンディングのシーンは、まさに30年前の昭和が終わろうとしているその時にすでに、ドラマの制作者は今の世相を予言していたのではないであろうかとさえ思えてしまう。

202128 涼村 行