2021年が、自粛に名のもとに始まった。
年末年始の飛行機、新幹線などの交通機関。空港。初詣で出向く神社。この時期人でごった返すことが至極当然であったはずの光景が、今回の年末年始は従来と全く違ったものとなってしまった。
日本政府が勝負の三週間と銘打って、国民に自粛を呼びかけたが、年を挟んで国内、特に首都圏では陽性者が増え、ついに緊急事態宣言の再発令となる。
しかし私だけだろうか。この少し緩んだ“感触”は何だろう。
連日報道されるPCR検査感染者数の中には、それなりの確率で“無症状の感染者”とカテゴライズされた人たちが多く存在する。そして、これら無症状者も発症者同様に、感染を広げるという理由で、自主隔離を強いられている。
そして、今検査で陰性であっても、決して安心できない。数多く存在する従来型のコロナウイルスに起因する風邪も同様だが、もしかしたら翌日には体内にいるウイルスが活動を始め、すぐに陽性になるかもしれない、そして発症し、重篤化したら… という恐怖感がぬぐえない。という今日の状況である。
私は専門家では無いので、無責任な発言は慎むべきであるが、聞き及ぶ話では、元来ウイルスというのは人間などの生物の体に寄生、潜伏しなければ空中では長期間生存できない。よって、生き延びるために生物の体内に寄生、潜伏したウイルスは、体調が整っていればその人間に悪影響を及ぼさないが、生活面の不摂生などによる体力低下が原因でバランスが崩れた時に、風邪の発症となり悪影響が起きるということのようである。 アルコールを摂取する夜の会合が感染を助長すると報じられているが、アルコールを長時間摂取することによる気のゆるみ(飛沫感染の助長)、体力の一時的低下(二日酔い、寝不足などの)、などが原因でこれも一般的な風邪と同様、今に始まったことではない。
あくまでも噂の域を超えないかもしれないが、PCR検査の際に陽性と判定される根拠(いわゆるCT値というらしい)が、世界各国で異なり、PCR陽性者の基準に統一性が無いという事実があるらしい。
また、陽性者(体内のウイルスが1個でも検知された)と感染者(発症の原因となるほどウイルスが体内増殖した)は大きく異なるので、陽性者すべてを感染者というカテゴリーに入れるのも不自然とのことも一部有識者の間で指摘されている。
専門的な話はさておき、それでも決して油断してはならないが、今回のウイルスの特徴は、感染力は強いが、重症化リスクはインフルエンザとあまり変わらないことは当初からわかっていたようだ。
クラスターに関しても、何人かが狭い空間に集まった時、一人でも風邪の発症者がいれば他者にうつし感染させる。ただし、感染してもその人に免疫があるか、体力が万全で発症しない人もいれば、その逆で、たまたま体調不良であったため発症してしまう人もいる。冬はウイルスが好む気温、湿度が低く、活動が旺盛になり風邪が蔓延しやすいので注意を要する。インフルエンザを筆頭に、一般的に風邪というのは常にこのようなものであると誰もが思っているのではないであろうか?
一方で、今回のウイルスが特にインフルエンザと大きく異なることの一つに、今日現在まで20歳以下の若年層、小児、赤ん坊に重症化される方がほとんどおられず、また亡くなられる方に至っては今日までゼロということは特筆に値する。
我々はこの未知のウイルスに対し、国内外から入って来る報道を日々目にし、耳にすると、明日はどうなるかの強い恐怖心をぬぐい切れないでいることは確かである。 しかも、感染症対策をしっかり行い、慎重に行動する人ばかりかと言えばそうでもない。 しかし、その最たる理由は、我々自身にこのウイルスの撲滅を目指すのか、あるいはこのウイルスとの共存を受け入れるのか、確固とした方向性が定まっていないことでは無いかと思う。
今、我々が実際に毎日現実の生活の中で、肌で感じて実感する“感触”と、世論と言って良いかわからないが、世の中に蔓延する“空気”とが、何かしらマッチしていないのは、ここに原因があるのかもしれない。
このように考えて行くと、今回の騒動の中で、従来の我々国民の日常を大きく変えることになった主たる本当の原因は、果たして何だったのか? そう疑問に思うのは、もしかしたら私だけであろうか?
2021年1月7日 涼村 行