2021/01/05

(NO.1244) ■ピリオドの少し手前    デコッパチ

皇帝のものは皇帝に 神のものは神に返しなさい(マタイ22・21)

旧年の仕事納めは30日であった。床屋さんや銭湯、小売業、お蕎麦屋さんの場合、お仕事は大晦日までであり、それとあまり変わりがない。友人にそれを嘆くと、毎年のごとく、「お前の商売は因果な業界なのであるため、しょうがない。仕事にはげめよ。働け。働け。」みたいなメールを寄越してくる。

年末までばたばたである。今、この文章を書いておりますのは1231日。先ほど、隣の家の方とも会う機会があり、「押し詰まってきましたね」と言われる。うう、この押し詰まり感という独特のものは日本特有のものなのであろうか。なんだか、ミニ終末論みたいな、巨大な句読点のようである。

大晦日にやっと年賀状を書き始める。「どうしても出さなくてはならない」方々への賀状を慌てて書き、郵便ポストに入れる。家族などは、毎年、年を越してから賀状を書き始めるが、私はそこまで大胆なことはできない。

賀状を出した後、そのついでに、自転車(なんちゃってスポーツバイク)で少しトレーニングに行く。途中、お目当てにしていたバッティングセンターで、厄払いでもしようと寄ったが、13日まで休みとのこと。仕方なく、少し、多めの距離を漕ぐこてになる。「人生は自転車に似ている。バランスを保つには動き続けなければならない」(アルベルト・アインシュタイン)。アインシュタインも自転車を愛したのだろうか。しかし、東京でサイクリストが感じるような、自動車とのストレスというものはなかったのではないか。

ひそかに勝手に「T峠」と名付けている丘?(その近辺ではとりあえず一番標高が高いところ。時期によると、気温もここからわずかに変わることがある)まで走る。多摩川まで走る、あるいは多摩川沿いを激走するほどのサイクリストではない私は、いつものように、その辺りで適当にユーターンして、帰路につく。意志の壁、根性の彼岸みたいなところである。きっとここで折り返さなければ、なにかが変わるのだろう。しかし、ここ数年はいつもここで折り返してしまう。

しばらくすると、バイクの後輪に違和感を感じる。パンクしているではないか。ブルータスよお前もか!。なぜこのタイミングなのか。こうなると、なんとか自宅にたどり着くことが最大目標になる。異国の地にお邪魔しているように、しずしずと走る。不思議と、年末というものは、なにかと精算を迫ってくる。

2020年はなかなかタフな年であった。ストレスのせいか、頭は薄くなってきたようだし、膝もおかしくなり、「経年劣化」を、なにかと突きつけられた。医者はきつい現実を淡々とびしびし断言してくる。ドラッグストアでは、育毛剤なるものを、勇気をふるい、初めて買うこととなった。こいつは初めて買う人間だな、と見た店員さんは、「初めてお使いですか。血流が激しくなり頭がボーッとしますので、会議などの前に使用するのは避けてください」などと、不可思議なことを述べる。そんなにきくのだろうか。世の中には、様々な注意点があるものである。また、そういうときに限って、直後に知人に会うから不思議である。

郷ひろみのような、髪の毛ふさふさ、マラソンも大丈夫ですな、みたいにはなかなか行かないものだ。大袈裟な話だが、体・肉体は、結局はふたたび地に帰ることになるのであろう。その途中経過にあることを確認するような年であった。いまは復路なのか、往路なのか。往路だとしたら前半なのか、後半なのか?

ところで、バイク君よ、きみを労わる余裕がなかった私をどうぞ許してください。自宅まで2件ある自転車屋さんは、大晦日にもちろん営業なんぞしていない。完全に、全きの休業である。神々のたそがれのごとく、空気のない後輪から「終末的な痛み」を訴えられながら、そろりそろりと走る。とほほ、である。

最後の望みを、3軒目の自転車屋につなぐ。その店は、大手小売チェーン系のためか、なんと、営業していた。干天に慈雨、砂漠にオアシス、である。修理などに携わる4人ほどのスタッフがいそいそと働いている。子供の自転車を買い替える親子の姿もあり、10年近く乗っていた自転車を写メして別れを告げ、自転車に話しかけている。電動自転車の電池の修理に来た母娘もいる。

年の最後の最後で、なかなかいいこともあるものである。タイヤを変えられた私のバイク(自転車)も、気のせいか、嬉々としているようである。その勢いで、夕方、お寺に行き、近所の巨大なカトリック教会のミサにも行ってしまった。大晦日の18時。あまりに荘厳な雰囲気のなか、少し遅刻して入るのもかなり緊張した。式順序に不慣れな、カトリック信者でない人間はわたしひとりだったかもしれない。司祭さま、ごめんなさい。黙祷、祈り、祈り。そしてまた祈り。なかなか変化の激しい日であった。「昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう」(アインシュタイン)。


202113日 デコッパチ