2020/12/08

(NO.1242) 断捨離  涼村 行

断捨離 私は物を捨てることがどちらかというと好きである。

定期的に家の中に置いてありほぼ毎日使う、あるいは毎日では無くても高い頻度で使う電化製品や、パソコン、読書、書き物をする家財道具などを除き、機会があれば今度は何を捨ててやろうかなと考えている。

そして、捨てる物(候補)が見つかったら、即、廃棄すると決断する。 この傾向は人生の円熟期を迎えてから顕著になった訳だが、その為かわからないが、世に言う浪費と言われる余計なものを必要以上に買わなくなったことは確かである。

しかし、消費と投資はそれなりに行っている“つもり”である。

概ね捨てる物のカテゴリーは、不燃ゴミか粗大ゴミに分類されることが多い。(時には資源ゴミイコール書籍もありうるが…)

これらカテゴリーに属するゴミの収集は、都内を例に挙げれば、不燃ゴミは2週間に1回。粗大ごみは、インターネットなどで収集日を決めて、清掃局に対し予約をすることになる。(リサイクルが奨励されている世の中に逆行しているきらいもあるが、個人的にリサイクルには別途思うところあり、この点お許し願いたい)

すると概ね、捨てると決断してから、収集日当日まで幾日かの待機期間が発生することになる。

ここで私にとっての廃棄物は、大きく2つに分かれる。

カテゴリー①は、新しく家具、電化製品などを購入した時。あるいはそれらが破損、壊れた時の買い替え需要が起きた時。また、そうでなくても部屋のスペースの問題から捨てざるを得ない時。

カテゴリー②は、一定の収容スペースを占めており、まだ十分使用できるのだが、利用頻度が極端に少ない。あるいはそれでも過去の思い出などが詰まっているなどの理由で廃棄するか判断に苦しむ物。

ここで先の待機時間のことに話を戻す。

前者の場合、捨てる物の購入時の価値にかかわらず、廃棄せざるを得ないので、通常は収集日が早く来ないかと待ちどおしい。特に粗大ゴミの場合は、昨今の巣ごもりのおかげで家内整理に勤しむ人が増えたため、以前にも増して収集日の予約が混んでいる。

一方、後者の場合はどうであろうか?

一旦捨てるという判断をした後で、廃棄をやめることがあるだろうか? 実は、私はまだ使えるのだが一旦捨てると決めた物を、今まで廃棄しなかったことはほとんど無く、何の躊躇も無くゴミ集積場に持って行き、そのまま日常生活を送る。 そしていつもその後の生活に何の支障も来さない。

ところが、何かの瞬間に捨てた物に対する愛着が、数年後によみがえることがある。その場合は特に、その対象になる物を捨てたのかどうか思い出せないことも多い。つまり忘れてしまっているのだ。 家族、友達、楽しかった旅行、面白かった映画など、思い出に浸る時、その時に手に入れた物を記念に残して保管することが多くある。

でも、私に限った話なのかどうかはわからないが、とても楽しかっ時の思い出の品をいつの間にか捨ててしまっていることもある。

でも、それは決して悪い事では無いと思う。なぜなら、これらすべては自分の記憶というハードディスクに間違いなく残り、何かのきっかけで自然にふとそれが引き出された瞬間とても懐かしい気分になる。この時の高揚感は例えようも無い。

私たち人間は、物を所有して生きることを運命付けられた訳では無いのだと思うと、不思議と嬉しくなる。

 

2020年12月8日 涼村 行