DNAという表題を見てさぞかし難しい話になるのだろうなという印象を持たれたことと思う。最近、芸能人の訃報が相次ぎ、一体なぜこの時期に?一向に終息しそうにないウイルスがDNAに作用したのか?などと未だに自粛の色が消えない世の中で毎日を過ごしつつ、日々の生活・仕事と向き合い色々なことを考えてしまう。
だが、今回言及したかったのはそれではない。
街を歩いていると自転車に乗った人に遭遇するのは、常日頃あたりまえのことである。誰にでも当然経験があることだと思うが、道路を横切る時に、日本国内であれば幼稚園児のころから、まず右を見て、次に左を見て、もう一度右を見て渡りましょうと教わると記憶している。
今から、数年前のことである。
道路を横切ろうと右を見た際に、こちらに向かって走ってくる車もバイクも無く、初老の年配のご婦人が自転車をこちらに向かって走らせているのが目に留まっただけであった。その距離は私のところから25-30メートルくらいであろうか。次に左を見ると車両は何一つ来ない。ここで私はもう一度右を見てセルフジャッジをする。道路をゆっくり横切っても余裕で間に合うな。
ところが、である。私が道路を渡ろうと一歩踏み出すタイミングが気のゆるみから少し遅れた。そして一歩、二歩前へすすんだら…. なんとそのご婦人の自転車がすぐ目の前まで来ていて驚いて走って道路を渡る羽目になった。
一体なぜだ!半世紀近く人として車道を横断した経験は数えきれないくらいあるはずだ!なぜ目測を誤った!
謎はすぐ解けた、その自転車は今流行りの電動のアシスト自転車だったのだ!
年配のご婦人でも涼しい顔で高速で自転車を走行することができるんだ!
その時、私の脳裏になぜかふと、急に猫のことが思い浮かんだ。
自転車と猫の関係は特に何もないのだが、私が幼少のころ道路で猫がよく車に挽かれて亡くなっている光景を目にし、子供心にかわいそうだなと思ったものである。これは、(猫だけに限ったことではないが)彼・彼女らにとって、この世に誕生以来、巨大な鉄の塊で、かつ街中を最速で40-50キロの速度で向かってくる物体は歴史上存在しなかったため、猫自身がそれに対応できなかったということではないか。つまり、猫のDNAにはそのような物体の存在は、猫誕生以来刻み込まれていなかったのだと。
ところが、それから半世紀近くが過ぎ、猫も世代交代を繰り返し進化した。そしてわずか半世紀の短期間で、現代の猫には高速で走る車の存在がしっかりとDNAに刻まれた。それで、最近車に挽かれる猫は減ったのかもしれない。(いや、そうは言っても、もしかしたら昔のように街をうろつく飼い主不在の野良猫が、単に少なくなっただけかもしれないが….)
そんなことを考えると、わが人類も全く同じかもしれない。
人類の起源である霊長類が地球に誕生したのは1億年前。それから進化に進化を重ね今日まで生き延びてこれた。地球上に存在する70億人からなる人類は皆異なったDNAの配列を持っているのは、それは人類が生物として生存可能ないかなる環境下でも、必ず誰かが生き延びて、人類の未来を紡いで行くためのものであろう。
まさに適者生存である。 今マスメディアで連日報じられる温暖化に代表される環境問題などへの異常なまでの是正を強要する風潮が、等しく地球上の人類、ひいてはその他の動植物すべて、人類と共生関係にある生物に、本当に利するのだろうかと考えてしまう。
2020年11月6日 涼村 行