2020/10/13

(NO.1234) 旅の思い出! 小濱綱之

10月は神無月(かんなづき)、神々が出雲に出向いて不在、すなわち神無しの月である。

テレビ番組コントの一場面をひとつ再現すると。

コーヒーの自動販売機前で新入社員にコーヒーをご馳走しようと会社の先輩が「よし、後藤、おまえ微糖か加糖か?」「いいえ、私は江藤です。後藤はただいまトイレに行きました!」「そうか、江藤、おまえは何がいい?」「無糖です!」「はあー? おまえね、俺を呼び捨てにするのか?」「あっ、先輩、失礼しました。武藤先輩、砂糖なしと言うつもりが!」「おまえね、佐藤先輩がここにいないからいいようなものの、いたらボコボコだよ!」・・・

とにかく、シチメンドウそうなコントだった。

 

さて、先週、妻と北海道へ行って来ました。

コロナ感染がいまだ終息してないのにとヒンシュクを買いそうだが「GO TO トラヴェル」で東京都民が追加対象者になったことをいいことに勝手に感染防止を前提に県外へ出ることにした。

新日本海フェリーを利用し小樽のオーセントホテルへ一泊、翌日夜やはり新日本海フェリーの船内に泊まり秋田へ帰るドライブパックという旅行会社の個人旅行です。

秋田港から朝6時15分発のフェリー「ゆうかり」(16,000トン)へ私の自家用車とともに乗船するため、まだ陽が昇らない4時50分に自宅を出たらフェリーターミナルへ5時5分に着き、道が空いてたことに感謝をすると同時に出発までの時間を持て余すはめになった。

フェリーに乗るのは学生のころ友人と淡路島へ行って以来の経験で何かと新鮮な気分だった。

苫小牧東港に夕方4時45分到着、高速道路を利用し小樽のホテルへ向かったが、高速道路では時速100キロのスピードに久しぶりで手に汗を握る緊張感を味わった。

秋田県内の高速道路の最高速度は70キロまたは80キロなのに北海道(今は他県の高速道路も100キロとは思う)はトラックが80キロ、乗用車は100キロまでになっていることを私は知らずに走行車線や追越し車線を並行する他の車について行くと少なくとも時速100キロ以上が最低条件であることに気付いた。

信頼している私の車は2,500ccなのでそれなりにスピードを出してもしっかり走行してくれるが「なんせ10年選手なので心配だ」と妻に言ったら「あなたは70年選手でしょ。そっちが心配よ!」とみごとに切り返された。

ホテルへ到着後、ホテルのレストランで夕食、生ビールと日本酒を飲みながら美味しい食事を楽しみ、最後はコーヒーでしめ就寝。

翌朝、小樽運河など散策し私が思ったのは金融関係(旧日本銀行小樽支店や旧第一銀行小樽支店など)の古い重厚な建物が保存状態良く残っていたこと、また、運河沿いに立ち小樽港が繁栄していたころ私がいま立っているこの場所この近くでどのような権力闘争による切った張った事件があったのかなどを想像しながらホテルへ戻り朝食の食事処へ、あまり朝食の献立は期待してなかったが、2,500円の値段だけの価値はあった。

10時にホテルを出発し、8年前に洞爺湖サミットが開催されたザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパでランチを食べるために定山渓などを経由、一部では紅葉が始まり自然美豊かな光景を楽しみながら昼1時ごろザ・ウィンザーホテル内のレストランテーブルに着いた。 レストラン内には二組が食事中で一組はビジネス関係に見える10人ぐらいの団体、年齢は40代から50代または60代前半、酔いがまわり大きな声で盛り上がっていたので、隣のテーブルに案内された我々はコロナ感染を警戒し席を移動した。

もう一組は3人の50代女性グループで団体の隣りテーブルなのに気にもせずおしゃべりに夢中だった。

さすがサミットが開催されたホテルだけに格式があり敷居が高いという印象だった。

洞爺湖を眺めたあとは支笏湖へ立ち寄り苫小牧東港へ、洞爺湖と支笏湖を走っていたら観光バスの多さには驚いた。

支笏湖から苫小牧へ向かってすぐ、リスが道路を横断する姿を見かけたり、エゾシカの親子がやはり道路を横断している情景に出くわした。

苫小牧東港、夜7時30分出航「らいらっく」、夕食の船内グリルに四組がすでにテーブルについて食事を始めようとしていた。 一組のテーブルには二組の夫婦4名が盛り上がっており、他のテーブルでは一組の夫婦の旦那が酔いつぶれているのか(ビールと日本酒の空き瓶がある)テーブルにうつ伏せになり奥さんはトイレなのかいなかったが、しばらくしたら戻ってきた。

翌朝の朝食時にグリルの30代ウエイトレスと話す機会があり、驚いたことがあった。 というのは乗船したフェリーは新潟港~秋田港~苫小牧東港の定期運行、彼女は新潟市に住んでおり、てっきり秋田港から新潟港へ着いたら自宅へ帰るのだろうと思っていたら、仕事でフェリーに乗船したら3~4週間は自宅へ帰れない、だから船内での生活がメインになると聞き、仕事は生活するために必要不可欠で楽しいこともあるだろうが、きついことが多いはずである。

テレビのバラエティー番組やタレントがイッチョマエにコメンテイターなどと専門分野でもないのに言いたいこと言って高いギャラをもらっているのを見るとなんかおかしくないかと問いたくなる。

旅の目的はいろいろだが、そのひとつには人とのふれあいも旅の思い出になるだろう。

 

2020年10月12日      小濱 綱之