2020/08/26

(NO.1228) 6ボク   デコッパチ

「地球から離れるためにすべてあらゆることを全力でしてきた。そしてその時が来たら、地球に残る理由を見つけるなんて」(「ガタカ」1997年、より) 

ここ数年、何度かみてしまう映画がある。「6才のボクが、大人になるまで。」(2014年)。原題はBoyhood。ゴールデングローブ賞の作品賞や監督賞を受賞していることはどうでもよい。主人公の男の子・メイソン・ジュニア(エラー・コルトレーン)が、6才から18才になるまで、4人の俳優(主人公、姉、母、父)が約12年にわたって、そのたびに集まって撮影されたという、なんとも時間と手間がかけられた作品なのです。世界を救うわけでも、恐竜もゾンビも、特殊効果も出てこない。今まで、映画界でほとんど語られていなかった、できなかったことが、さりげなく描かれている。 

「北の国から」、「男はつらいよ」みたいに、ほぼ同じ俳優さんたちが出演していく、登場人物の成長(あるいはドタバタ)を描いていく、という点は似ているけど、このBoyhoodは、完成するまで公開されなかった。主人公の子役の俳優はほぼ毎年、夏休みに撮影に参加したようだ。撮影終了まで、よくもグレないでいてくれました。 

制作に賛同し、出資したスタジオ側(IFC)も太っ腹である。監督のリチャード・リンクレイター氏は、2002年ごろに、生まれ故郷のテキサス州において、一人の子供が6才から大学に進学し親元を離れるまでの期間を描く映画を作りたいと思い、同時に子供に起きる変化は多すぎて十分に語りつくせないとも感じたという。当然だが、育てる方の親たちも、風貌や環境がどんどん変わっていく。 

映画は、離婚した母親の元で、男の子と姉が育って行く過程を淡々と写して行く。映像の冒頭は、母親が先生と面談している間に、芝生で、ぼーっと空を見ているメイソン君の映像から始まる。このシーンを撮りたいためだけに、この監督はこの映画をつくったのではないかと思うほどである。いずれにせよ、68才というのは、人間の中で、最も純粋で、愛すべき生物かもしれない。  

その後、母親は、大学に入り直し、大学での教職を得る方向に行く。離婚後、二人ほどの男性と結婚するが、メイソン君は、その度に環境が変わるので、なかなか大変である。同じ屋根の下で住む人が変わっちゃうのである。ある時は、家庭内暴力がちな男性が父親(連れ子もいる)になり、一緒に暮らすこととなり、かなり剣呑な問題になっていく。母親は、彼の素性がわかるにつれて(結婚する前にわからなかったのだろうか。わからないもんですね)、あっという間に離婚を決意し、あっという間に子供二人を連れて、荷物を持たずに家を去る。男性が連れてきた二人の子供は置いていかざるを得ない。翌日から転校するメイソン君。 

とにかく、すべてのシーンが、地に足がついた感じである。メイソン君がどんどん老けていき、大学に入る頃には「おっさん」に見えるのが不思議だ。米国人の慣習、子育て事情、教育システム、住宅事情、選挙活動、なども、なんとなくではあるが、他の映画では決してわからない風景が伝わってくる。母親は大学の教授か講師になり、家を買うが、維持費がかかり、結局手放してしまう。子離れするときは、ごねる。各人の幸せ、苦悩の均衡点や、目的は常に流動しているのだ。

 映画の中では、生みの父親も何回か出てくる。時々、子供達と会って、ボーリングに行ったり、大リーグ観戦に行ったり、草の根の大統領選挙活動をしたり。もう一回結婚しちゃったり。このなんとも飄々とした、少しだけ頼りなさそうだが、テキサス州的な気骨もある、民主党支持の、保険会社に勤める父親(イーサン・ホーク)が、なんとも憎めないのだ。 

この俳優さんを、どこかでみたことがあるなと思っていたら、なんと多少伝説的な映画「ガタカ」(1997年のSF映画。DNA操作で生まれた"適正者"だけが優遇される近未来において、不適正者"として自然出産で生まれた若者が、適正者に成りすまして宇宙へ旅立とうとする映画)の主演男優ではないか。ガタカで、あまりに緊張した、端正な役だった反動もあるのか、今回の映画の彼は、すこし年をとり、やや伸びきってみえる。月日の流れること、矢のごとしである。この人も、今回の映画の中で、一緒に年をとって行き、いいおじさんになって行く。わたしは、あまりにびっくりして、イーサン・ホーク氏の最近の映画をみる羽目になったりしている。  

近年は、どうしても、両親役のほうに感情移入してしまう。どこの国も生活していくということはやや大変そうである。映画は、メイソン君がコーヒーを飲み始める年頃を前にして終わっちゃいました。続編を作ってくれないかなと、ふと思います。 

 

2020年8月25日 デコッパチ