散歩している犬たちの吐く息も荒く。マスクしている人間たちの眉間にはふかい、ふかい皺が。
そんなぼくたちの惑星にも夏がやって来ている。
ホモ・サピエンス生誕から今日までで、いちばんマスクをしているだろう惑星の21世紀20番目の年の8月。
そんな8月。ぼくは、中央線西荻窪駅から南に数分、歩いたところにある古本バル 月よみ堂に向かっていた。この店で午後2時に、出版仲間たちと打ち合わせをするために。
この店の女将は、本とアルコールをこよなく愛していて、その愛が高じて古本屋とバーを始めたのだった。そんな店が、ぼくたちの行きつけになっている。
この店で、もう何回も詩の朗読会や、出版記念会をさせてもらっている。
みんなコロナ時代、部屋に閉じこもって、本を読み、ネットを眺め、音楽を聴いているのだろう。
そんな時間に、寄り添ってくれる、とびっきり美味しいコーヒーや、お酒はかかせないものだ。
なんて、ことを考えなら、ぷらぷらと西荻窪の駅からいつものルートを通って、アーケードの宙に浮かぶピンクの象さんに挨拶して、豆腐屋さん、古着屋さん、靴の修理専門店などを過ぎて、月よみ堂のまえにやって来たら、約束の時間までまだ小一時間。店は閉まっていた(まあ、2時開店の店だからあたりまえだけど)。
仕方ないので、どこかでひまをつぶそうと思ったが、思いつくカフェはどこも休みの火曜日。
さて、どうしたものか。
太陽ギラギラ、もう40度になるのじゃないか。困ったなあと思っていたら、ふと思いついて、店のその先、あともう少し歩いたら小さな稲荷神社があることに気づいた。
それで、真昼の太陽が照りつける道路を数分かけて歩いたら、たしかに小さなお稲荷さんが。
小さな境内には、なんと、まわりを取り囲む楠の大木が作ってくれる木陰が広がっているではないか。まさに、この神社は、都会のなかのオアシスではないか。
アラビア半島の砂漠を行くキャラバンの前に忽然とあらわれたオアシスではないか。
なんて、ひとり悦に入って、木製のベンチに座り込んだ。
駅から10分くらい歩いてきたのだから、暑いには暑いのだが、境内の木陰を吹き抜ける風のなんとありがたいことか。熱中症予防のために自宅からもってきた水筒の水をごくごく喉を鳴らして飲む。
この境内にひとり。マスクなんて、もちろん必要ない。
そうやって、仲間たちとの約束の30分ほどを、ぼんやり涼んでいた。
このお稲荷さんも江戸時代から続いているもので、御公儀のものでも、だれかの私用のものでもない、まさに、江戸時代からのサードプレイス。万人に開かれた場所。
そんな神社は、この国には大小あわせて8万ほどもあるそうだ。これは郵便局2万4千、コンビの5万よりも多い数だ。
そんな場所で、21世紀の20番目の8月の午後を過ごしたことを、ぼくは忘れないでおこうと、なぜだか思ったのだった。
2020年8月18日 小山伸二