鬱蒼とした密林のような、いろんな本に囲まれて、休日の昼酒にまどろみながら、きょうも眠りの舟をこぐ。
というわけで、今日は、すこしばかり、本の話を。
ぼくが「読書」というものの楽しみに目覚めたのは、中学二年生の夏休みだった。
兄貴からもらった一冊の本。
五木寛之のエッセイ集『風に吹かれて』。新潮文庫版だった。
それまで、ろくすっぽ本を読んでいなかった中学生の心を鷲掴みにした。 そんな魔力が、『風に吹かれて』というエッセイにはあった。
のちに五木寛之という流行作家は、たくさんの小説を書きに書きまくっていると知るのだが、とにかく、その軽妙な文体と、ぼくの知らないいろんな世界(文学、とくにロシア文学、マスコミ、 ラジオ、音楽業界などなど)に、まるで恋に落ちるみたいに、魅了されてしまったのだ。 五木寛之のナビゲーションにより、芋づる式に、文学の森にさまよい出た、感じ。
そこからは、まず、田舎の本屋さんに並んでいた五木寛之のありとあらゆる小説や、エッ セイを買いあさり、すべて読破した。そして、読破したあとは、五木がエッセイでふれていたロシア文学の世界に突入。とりわけ、ドストエフスキーにはどハマりして、さらに日本の近代文学の作家たちに魅了され、高校生になる頃には、すっかり、いっぱしの文学青年ができあがっていた、 というわけだ。
そんなぼくの文学事始めの、記念すべき一冊めの『風に吹かれて』新潮文庫版はいまでもぼくの書斎に鎮座ましましている。
というわけで、実は、『風に吹かれて』だけではなく、中学生のときから買い始めた本や雑誌の 多くをいまでも結構、持っているのだ。本は捨てられない、売れない、あげられないという人生 を45年ほど過ごし、結果、家族からクレームの嵐にさらされている、膨大な蔵書の密林に囲まれて、今日に至っている。
それでもさすがに、物理的な限界というものがあるので、近頃は、知り合いの古本屋にちびちび売り始めたり、長野県の渋温泉で旅館を始めた若い友人に寄贈したりしている。
今後の野望は、その温泉旅館の一室に「小山文庫」なるものを築いて、リタイアしたら自分の蔵書で、読書三昧、温泉三昧の日々が遅れたら、なんて夢想する夏でした。
2019年7月29日 小山伸二