2019/05/09

(NO.1160) チャーリーブラウン  Decoppachi

I need plenty of rest in case tomorrow is a great day..明日がすばらしい日だといけないから、たくさん休息するのさ…(「SNOOPYより」)

チャーリーブラウンの友はスヌーピー。スヌーピーの友はチャーリーブラウンである。

わたしは、がさつで、適当で、かつ、なまけものだ。おまけに神経質である。よくもまぁこれまで生きてきたと思う。よく、まわりの誤解や軋轢をうんだり、自分をも誤解し、勝手に網にかかり、もがき、その結果、ときに、熱を出し、風邪をひく。二年に一度くらいは、寝込んだりする。

それを友人にメールすると、「仮病だな」とか、「おまえのような病気のデパートみたいなやつが、意外と長生きするんだぞ」といわれる。全く失礼な男である。そちらこそ、以前に、高熱で一、二週間ほど、年末に倒れたことがあるではないか!と糾弾すると、それはたまたまだ、はるか昔だ、または、記憶にないなぁと、まことに、にくたらしい返信がくる。

また、精神的にやや落ち込み気味なときに、うかつにメールしてしまうと、「鬱(うつ)には、どうやったらなれるのだろうか、ワッハッハー」というメールが返ってくる。そのようなときは、予見していたものの、さすがにあきれ、そういうときは、しばらくは、メールをしないことにする。なかなかスヌーピーのような暖かく、深淵なる言葉は返ってこない。

しかし、しばらくすると、その人間と、また、飲んでしまうから、縁とは不思議なものである。かれは、飲んでいるときに、はなしが、国の行方や、松本零士原作のとある物語に触れてしまうと、ガチリとスイッチが入り、永遠に滔々と話しはじめる。穏やかに流れていた多摩川が、大雨のあとの富士川に突然変わるがごとく、である。

一方で、しかしながら、こちらが話すとき、かつ、話題が彼にとってあまり興味のない分野の場合は、ふん、ふん、ふん・・・と頷いてはいるようだが、魂が身体から完全に離れていくのがみえる。そのようなときは、わたしは、木像に話しかけているんだと、あきらめることにしている。

かれとは、チャーリーブラウンという、レコード盤をかけてくれる素敵な、「お酒を飲める空間」「音の空間」でも飲んだが、そこは、とうの昔になくなってしまった。こんな落ち着ける場所があるのか、と思うところがひとつなくなると、人生が、こころなしか、数ミリ・数センチほど偏狭になる。もし、落ち着ける場所があるならば、大事に大事にしていかないとならないと思う。あるいは、そのような場所を、自分の足でせっせと、ときどき探さないとならない。


2019年5月9日Decoppachi