◆商品説明
かのナポレオンが配流された赤道直下大西洋の孤島セントへレナ島から、その名もナポレオン農園
1816年にナポレオンがこの島に流刑にならなかったとしたら、その島の存在すら忘れられていたかもしれない、そんな小さな島です。
かつてコーヒー農園を所有していた東インド会社の記録によれば、1732年にイエメンのモカ港からこの島にコーヒーが持ち込まれたとあります。
現在、この島には5つの農園があります。
ナポレオンズバレー・エステート
ブルーマンズ・エステート
マウントアクタエオン・エステート
GWアレクザンダーコーヒー・エステート
コーヒーグラウンド・エステート
今回やっとの思いでゲットした農園が、ナポレオンズバレー・エステート。
この農園は、ジェラニウム渓谷の先端にあるナポレオンの墓石近くにあります。平和と静寂を見出したナポレオンが最後の安住の地として、この場所をよく訪れたと言われています。また、彼の侍従武官だったマーシャル・ベルトランドとその妻の居住地でもありました。
この土地を開拓し、コーヒーの栽培を始めた当初は、数箇所の石段が土に埋もれていたり、当時使用されていたウェッジウッドの陶器やワインボトルが発見されました。そして、シダに覆われた石の階段はナポレオンの墓石へ続いていました。