「シチリア式のメッセージだ。ルカは海の底にいる。」(「ゴッドファーザー」(1972年パラマウント映画)より)
あなたはルカ・バルージを知っているだろうか。
ルカはゴッドファーザーの忠実なる僕で、彼はゴッドファーザーを深く尊敬している。武骨の骨頂みたいな男であり、ゴッドファーザーの娘の結婚式のあいだ、1時間か2時間くらい、1人で、ぶつぶつと、ボスへの祝いの言葉(ほんの10秒くらいで終わる言葉である)を練習している。一方、彼に対して、ゴッドファーザーは、厚い信頼をよせる。
熊のような体格の彼は、ゴッドファーザーと共に長年歩んできた。マフィアの世界で、共に歩み、幾たびかの剣呑な、堅気でない「場面」において、数々のおだやかならぬ「提案」を、ゴッドファーザーとこなしてきたのであろう。
この映画は、あるマフィア・ファミリー王朝の絶頂期ではじまる。娘の結婚式である。しかし、長男ソニーのあまりに激しい性格、敵対するファミリーのおだやかならぬ雰囲気、など、王朝をいづれ大きくおびやかす兆候が、映画の冒頭のそこかしこに、さりげなく散りばめられている。
物語の序盤で、ソロッツォというマフィアがたずねてくるところから、ファミリーの雲行きが、あやしくなってくる。鮮やかに晴れていた空に、厚い鈍色の雲が見え始める。麻薬取引の金銭的援助や、ゴッドファーザーがおさえている連邦国家の多くの議員の黙認を求めての、訪問および提案である。その見返りの条件(売上の一部をファミリーが受け取る)も悪くない。しかし、ゴッドファーザーが、独自の道徳観から、それを固く拒否する。長男ソニーが迂闊な言葉を発し、王朝の危機の芽吹になる。
ゴッドファーザーは、ルカを呼び、ソロッツォの動きを探るために、懐に飛び込むように命じる。しかし、敵は、想定を上回る行動に出て、物語は激流に転じる。
薄暗い自宅で防弾チョッキの上に、ワイシャツを着るルカ。薄暗いバーに向かってコツコツと歩いていくルカ。薄暗いバーで命を失うルカ。
そのあとの展開はあまりに有名で、書くにあまるが、結局、ルカの死を先頭に、ものすごい人数が世を去っていく。物語のなかで、たくさんの提案がなされ、あらゆる種類の反応がもたされる。
強く記憶に残っているのは、薄暗い廊下を歩くルカの足音である。人生はハードボイルドである。ルカは寡黙であるが、ルカの巨体が無言に語る言葉は饒舌である。
提案。わたしの小さな世界、生活でも、提案、命令、要求、問い合わせ、質問が山ほどやってくる。反応次第で命がとられることはないが、カツオ節のように、ときどき少し削られているような気がするのは、気のせいだろうか。生活における複雑さやシンプルさにおいて、マフィア映画に答えを求めようとする人は少なくないと思います。
一方で、コーヒーというものは、なにも提案というものをしてこない。お酒はなにがしかを提案してくる気がするが、コーヒーの多くは静かなたたずまいである。提案や情報があふれる世において、コーヒーだけは、提案も、条件も、問いも、雑音も、もたらしてこない。
2019年6月23日 デコッパチ