2019/01/21

(NO.1141) 極夜と白夜  Decoppachi

湖がさざめき タイガが歌う
我が祖国 大いなる自然
高い山々に立ち
汝の栄光を歌い上げよう
(カレリア国歌より)

人類史上、大きなピリオドのひとつはフランス革命だ。革命当時に作られたといわれる同国の国歌は明るい曲調だが、人類で革命を初めて成し遂げた原動力のひとつであったゆえか、その歌詞は相当激烈であることを、最近はじめて知った。今、ここで表記するのが、はばかれるくらい苛烈な言葉が並ぶ。勇壮な米国の国歌がつつましやかなものにみえる。米国歌の印象が星条旗だとすると、ロシア国歌は大地、フランスは血、フィンランドは光への希求、割譲されたカレリア国歌は美、というところであろうか。フランスについては、さすが、映画「突然炎のごとく」(フランソワ・トリフォー監督)を生んだ国だ。フランス国歌を国際試合前にしばしば歌う同国のサッカーやラグビーチームは、実力より1割くらい武闘パフォーマンスが上がってしまうのではないだろうか。

私ごとですが、年始から、やや体調を崩した。年末までに慌ただしかっこと、あるひとつの山場を越えてほっとしてしまったことなどが、影響したのかもしれない。禍福は糾える縄の如しである。カラダが資本とはよくいったものである。資本という言葉を身をもって痛感し、再認識する毎日である。資本市場で働いている人が、もし友人にいたら、いじめないで、たまには、一欠片でも暖かい言葉を投げかけようと思う。

とりあえず、当面は、カラダ資本の改善に重きを置いた自分見つめ直し政策をとっていくことにしよう。ただし、他国との貿易摩擦は避け、自分内のビジネス部分からクレームが出ない程度に。サンダース議員、史上最年少議員となったオカシオ・テルシス女氏の主張にも耳を傾けつつ。今年のキーワードは、1、くう・ねる・風呂はいる、2、お気に入りのカフェをみつける、にしよう。身を捧げる、まわりのひとを幸せにする、などは、カラダを治してからかもしれない。

しかし、1週間ほど前、その日の太陽を浴びていたら、なにかがコチっと、チェンジしたような気がする。極夜が明けて、フィンランド人が何十日かぶりに太陽と出会ったような。なにかスイッチが押されたような。カラダの機嫌が変わらないうちに、フランス国歌、米国歌を聴いて、内燃機関のさらなる点火を試みた。相変わらずあほである。ついでに、あとでロッキーのテーマを聴こうと思う。

まずは、起き上がり、立ち上がり、今日、明日、明後日を生きるためのコーヒーを飲みに行こう。



2019年1月19日  Decoppachi