2019/01/15

(NO.1140) トルコ紀行NO.2   小濱綱之

3日目、雨のなかイズミールからエフェソス遺跡へ、ガイド・ニハットの説明でエフェソス都市遺跡を巡る。この遺跡には市場が立ち並び公衆トイレや、浴場、図書館、娼館、野外劇場などが所狭しと隣接していた。ガイドの説明がないと何が何の跡地なのか理解できなかったが、ひとつの都市として機能していたことは伝わり遺跡としての残存率も高いと感じた。

各遺跡がローマ時代(紀元前133年~395年)に建造され、ギリシャ文化を柱としたビザンチン帝国時代(395年~1071年)を経てイスラム化したトルコ族がセルジューク朝を興し首都をコンヤに置きセルジューク朝時代(1071年~1243年)を建国、その後セルジューク朝がモンゴル軍に敗れたのち、同じトルコ族のオスマン・トルコ族が台頭しコンスタンティノーブル(現イスタンブール)を攻略してビザンチン帝国を亡ぼしオスマン帝国時代(1299年~1922年)を築いた。

1299年からオスマン帝国時代とともにギリシャ人が民族交換という聞きなれない言葉でギリシャに追いやられ遊牧民だったトルコ人が住みついた。また、モンゴル軍がこのコンヤまで攻め込んで来たことに私は驚いた。

その頃、日本もモンゴル軍の襲来を2度(1274年と1281年)も受け鎌倉時代の8代執権北条時宗の恐怖心は計り知れないものがあっただろう。


さて、パムッカレへ向かう途中、右側に小高い山が見え山沿いに塩湖のような真っ白で細長い湖が現れてきた。ガイド・ニハットによると石灰でできた湖でここから石灰を輸出したりしているという。パムッカレの石灰棚の景色を期待していたが、あいにくの雨と霧に石灰棚が何も見えず残念だった。

しかし、自由行動の終了時間も迫り、そろそろ集合場所へ向かおうとした時、ガイド・ニハットがもうじき霧が流れるのでもう少し待ちましょうというアドバイスを受け期待半分諦め半分で待っていたら、霧が抜け真下に石灰棚がクッキリと見えてきた。(待ったかいがあったが、気候のよい時期ならもっと奇麗で鮮明に見えたことだろう)

今晩の宿泊ホテルには温泉プールがついていて私は入らなかったが、小諸と木更津のご主人が入り身体が暖まりよかったとの感想だった。

4日目、パムッカレを後にコンヤまで約6時間のバス行程、途中エイルディル湖畔のレストランでスズキのフライやイカリングや子エビのフライなど揚げたてを食べられ今回の旅で一番美味しかった。



2019年1月15日      小濱 綱之