2018/03/02

(NO.1090) 彫像  Decopacchi

よく、事業などで名を成した方は、地元に銅像が建てられたりするが、わたしにも、小さな彫像が送られた。しかしながら、やや複雑な心境である。

先日、家族が、ガチャガチャでとってきたミニチュアの彫像「考えない人」シリーズのひとつをくれた。考えないということすら、考えない、というのがキャッチフレーズ。何種類かあるなかのひとつで、家族がとってきたのは、「考えないで寝ちゃうひと」。

連日徹夜の作業中に「5分寝ます」と言ったきり、その後10年間眠り続けた、彫刻家モリエール・ダンロの弟子、ニコラ・トクシンだと言われている。家族から、そんなに寝てばかり人間にみられているのか、と半ば愕然とする。玩具メーカーも罪なものをつくるものである。10年間眠れるものなのだろうか。

たしかに、「寝ちゃう人」は、他人とは思えない。わたしは、平日はギリギリまで寝てて、ほぼ毎日、駅まで、早歩きか、速めのジョギングにならざるをえない。帰りも、急ぐ必要がないのに走っていたりする。革靴は、いつのまにか、走り込んだジョギングシューズみたいに急速に摩耗していく。休日は、たしかにゴロゴロ寝ている印象もあろう。10分だけ寝かして、と言い、3時間昏睡したりする。「あしたのジョー」の矢吹丈みたいに燃え尽きる情熱はなく、マンモス西みたいな働き者でもない。眠いのだから仕方がない。困ったときはとにかく眠る。困ってなくても眠る。

考えないひとシリーズは、ほかには、「考えないでポーズする人」、「考えないで持ち上げる人」、「考えないでタックルする人」、「考えないで開脚する人」、「考えなさすぎて刺さるひと」がある。全てのシリーズがもし親方彫刻家モリエール・ダンロに関係していたとしたら、かなりの労働環境である。なかでも、「刺さる人」は、脳天から落ちたように、岩に刺さっている。是非とも、このひとのモデル、背景をしらべなくてはならない。たしかに、これらのいくつかには、他人とは思えない親しみを覚える。ロダンの「考える人」の対極である。深淵について熟考するよりも、成り行き任せ、直感任せである。しかし、タックルも、これからは考えてから、しなくてはならない。しかし、なにから考えれば良いのだろうか。考えないことも考えない、という境地も、忘我という観点から、素晴らしいと思うが、それはそれで難しいかもしれない。


2018年3月2日 Decoppachi