20年前のトーキョーは、何を食べても実力以上に高かった。それが今や、280円の弁当や500円のワンコインランチが繁茂して、実力以下の値段ばかりになっている。変われば変わる。
15年以上も前だけれど、会社の先輩から自由が丘に面白い床屋があるから行ってみろと言われて、生まれて初めて自由が丘という町に入って床屋を変えた。女は一生自分の髪型に満足しない生き物らしいけれど、男はなかなか自分の髪型を変えない生き物なのかもしれない。だから女は時々行きつけの美容院を変えるらしいけれど、男はなかなか行きつけの床屋を変えたがらない。最近の草食系の若者たちは美容院に通うので、日本全国の理髪店の数が急速に落ち込んでいる。
「おしゃれさろんみなみ」という床屋である。みなみというところを「皆美」と字を当てている。東急東横線の自由が丘駅の南口を出てすぐ左側にある。いつ頃からか忘れたけれど、いつの間にか立派なビルになっている。創業が40年以上前で、当時から4,000円の価格を一回も変えていないらい。今もカットが4,000円で80分。店内に入ると20代の女性の理髪師が10数人だけでびっくりする。膝上の丈のスカートの制服で、季節ごとに色がおしゃれに変わったり、クリスマスシーズンになるとサンタクロースのコスチュームになったり、2002年の日韓ワールドカップの時は、ブルーの日本サッカーのユニフォームになったりした。オヤジどもはその若さと楽しさに引かれて集まり、週末は開店の朝8時半から待ちが出るほどの繁盛ぶりである。いつのまにかこちらも常連となってしまい15年以上毎月1回自由が丘に通うことになった。
「凛」としている。この床屋が気に行ったのは会話をしなくていいところである。女性の理髪師が黙々と髪を切ったり洗ったりするのだけれど、一切会話をしない。時々、新しいお客が来てペラペラと話をしてうるさいこともあるけれど、少し経つと空気を読んで静かになる。マッサージなどの季節ごとの新しいオプションのメニューが出てくるけれど、すべて従業員が考え出すと聞いてまたびっくりする。オーナーを数回だけ見たことがある。がっしりとした紳士だった。1階と2階に加えて、地下に「竜宮城」と呼ばれる個室のような部屋がある。6千円から3万円までのメニュがあって、いつかは成功して3万円のコースにチャレンジしたい。調髪が終わると、必ず、入れたてのコーヒーを出してくれる。クラシックが流れる店内で飲むコーヒーは最上であり最高である。コーヒーにはクラシック音楽だとこの店で知らされた。
ベローチェ180円、ドトール200円、スターバックス300円。ブレンドコーヒー一杯の値段である。昔、ロイヤルホストのおかわり自由のコーヒーを贅沢に感じたことはあったけれど、今、これらのチェーン店のコーヒーには贅沢さを感じない。「ぜいたく」という言葉自体がもはや死語になっているのだろうか。 自由が丘に「集」とい珈琲店がある。五反田にも有楽町にもある。ブレンドが一杯700円。ここでもクラシックが流れており、時々、優雅な時間を過ごす。最近一杯1,500円のブルーマウンテンコーヒーを飲んだけれど、忘れかけていた「ぜいたく」を思い出させてくれた。
自由が丘にはもう一軒、行きつけがあった。「とんかつのとんき」というお店である。目黒が本店らしいのだけれど、自由が丘店はカウンターだけの小さな小さな店だった。主人がとんかつを一枚一枚丁寧に「気」を入れて揚げる。ひとりで入ると必ず新聞を渡してくれたりおしぼりやお茶のお代わりまで絶妙なタイミングで気を配る。この店も「凛」としていた。数年間行くのを空けていて、久しぶりに行ってみると主人が覚えていてくれてうれしかった。九州の田舎者がやっと都会人の烙印を押されたような感動があった。しかし最後に見た豚肉をたたいたりとんかつを揚げたりしていた主人は腰が曲がって足を引きずっていた。昨年末、立ち寄って見ると「閉店」の看板があった。
自由が丘は若い人が一番住みたい街であり、流行の最先端を見ることができる。アンテナショップや新店舗で街全体が実験台である。
平成24年2月6日 中島友二郎
おしゃれさろんみなみ