「つつがなくお過ごしですか・・」
手紙の書き出しで、相手の安否を気遣う常套句として使われてきた言葉である。
これはツツガ虫に刺されずにお元気でしょうか、と言う意味合いもあるようだが、
いずれにせよ昨今では消滅寸前の言葉になっている。
「やぶさかではございません・・」
初めて社会人になった時の職場の課長が、得意先に対して頻繁にこの言葉を用いていた。
あまり聞き慣れない言葉だったので、今でもよく憶えている。
これは物惜しみせず、努力するという意味だが、
この言葉も昨今では殆ど聞かれなくなってしまった。
また、この言葉を好んで用いていた当時の課長だが、すでに故人となってしまった。
特徴的な言語や癖のある言い回しなどは、それを用いて話していた人が亡くなると、
その言葉も一緒に消えてしまうような気がする。
落語家の桂文楽(八代目)の話言葉もそれと同じである。
『べけんや』 『あばらかべっそん』など、意味不明な言葉を連発していた師匠である。
『あんだらそんじゃ』 『ぜろぜろぜっぷり』となると、まったくもって何だか判らない。
お銚子をお代わりする時は「もうひとつ、てれっつだよ」と言って、頼んだそうである。
「このコーヒーの香りは、なんともべけんやで、ようがすよ」
文楽師匠がコーヒーを飲んだら、おそらくこんな洒落た台詞を言ったかもしれない。
奇妙な言葉の数々は、文楽師匠が亡くなってから聞かれなくなってしまったが、
たとえ日常的な言葉であっても、その人の体臭が沁みこんんでいると、
その言葉は活き活きとするものだ。
【じれったい】【依怙地】【おもやい】【天の邪鬼】
【甲斐性なし】【一丁前】【息災】【剣幕】【堪え性】
どもれがセピア色の言葉で半死語となっているが、この言葉達が活躍していた時代に対しては、
懐旧の情さえ湧いてくるものである。
【うざい、いけてる、マジ、びみょう・・】
昨今の若者言葉の軽さには、何らいう言葉も見つからない。
『いま更に あばらかべっそんの 恥ずかしさ』 桂 文楽
28/文月/2010年 山田 雄正