生産者:マーリン・メディア 農園名:ラ・チョレラ 品種:パカマラ あー、これがパカマラ!という味
現在の農園主マーリンの亡き父オヴィディオがチョレラ農園でコーヒー栽培を始めたのが1980年。幼かったマーリンはコーヒー農園が大好きで、いつも父親のそばにいて農園で遊んでいた。小学校に入っても、学校に行こうとせず、父親のコーヒー農園を手伝いっていたが、さすがに両親はこれを認めず、強制的に学校へ行かせた。大きくなるに従って、コーヒーへの関心は深まるばかりだった。ある日、彼女のコーヒーに対する愛情を認めた父親は娘に農園を譲ることにした。これがベストな判断だと思ったからである。この日がマーリンにとって、これまでの人生で最良となったことは間違いない。農園を引き継ぎ、農園主となったマーリンはいま、ふたつの目標がある。ひとつは二人の子供たちにいい教育を受けさせること。もうひとつは車を買うことだという。
ホンジュラスはメキシコに次ぐ中南米のコーヒー生産大国である。2011年の生産量はメキシコを上回り、中米最大となった。日本への入荷はグアテマラ、エルサルバドルに次ぐ量を誇るが、シングルオリジンコーヒーとしての地位は確立されておらず、主にブレンドの原料となっている。2004年からインターネット・オークションを開始。零細農家単位で探せば、素晴らしいコーヒーに出会うことがある。カップオブエクセレンス中米開催国としてはグアテマラ、ニカラグア、エルサルバドルに次いで4カ国目である。ホンジュラスにコーヒーがいつ頃伝わったかという正確な記録はないが、言い伝えによれば、19世紀初頭、パレスチナ移民がコスタリカからオランチョの地に持ち込み、栽培を始めたという。
1866年ドイツ人移民ヘルマン・バウシュがマルカラの地でコーヒー栽培を始めた。1876~1880年の自由主義革命でコーヒー栽培が広まるが、近代的なコーヒー栽培になるのは、1970年代に入ってからである。ドイツ人移民がマルカラとその周辺に住み始めたことに加えて、穀物の工業化の波が後押しした。現在、ホンジュラスの中でも高品質のコーヒーを生産するマルカラは、DOP(原産地名称保護制度)が導入され、そのブランドイメージを保護している。
[地勢・気候]
グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアと国境が接し、カリブ海に面した沿岸平野以外は、森林に覆われた高原地帯であり、国土の33%は標高1000メートル以上ある。土壌は火山灰質。
[生産状況]
栽培品種は全てアラビカ種である。品種は隣国から持ち込まれたようで、バラエティーに富んだ種類が栽培されている。カツーラ(ブラジル原産)、ブルボン、ティピカ、パーカス(エルサルバドル原産)、ビジャサルチ(コスタリカ原産)、ゲイシャ(エチオピア原産)、カツアイ(ブラジル原産)、パープラセンス、レンピラ、パライネマなどがある。生産量の98%は10万世帯の零細農家によって作られている。40~60万袋が隣国グアテマラやニカラグアに密輸されている。
[主要生産地]
生産量の61%は800~1100メートル、23%が1,100~1,500メートル、16%が500~800メートルで収穫されたものである。コーヒー栽培は18州のうち15州で行なわれている。主要生産地はコパン、オパラカ、モンテシージョス、アズルメアンバー、アサルタトロピカルなどである。
[品質・格付]
グレーディングはサイズでなく、栽培地の標高によって行なわれる。SHG(ストリクトリー・ハイグロウン、1,500~2,000メートル)、HG(ハイグロウン、1,000~1,500メートル)、CS(セントラル・スタンダード、700~1,000メートル)がある。
[流通]
生産量の90%以上が輸出され、主な輸出先は圧倒的にドイツが多く30%弱を占める。次いで米国、ベルギー、イタリア、韓国、英国、フランス、スウェーデン、そして日本(3%)となる。
品名 | マーリン・メディナ |
生産国 | ホンジュラス |
地域 | ラパス県アグアケテリーケ |
生産者 | マーリン・メディナ、ラ・チョレラ農園 |
クロップ | 2018/2019 |
規格 | SHG、EP |
欠点規格 | 0-6/300g |
スクリーン | スクリーン17アップ |
木の品種 | パカマラ |
その他 | 標高1600メートル、年間降水量2500ミリ、創業1980年 |
精製方法 | フルウォッシュド、24時間発酵槽 |
開花時期 | 2018年5月 |
収穫時期 | 2019年1月-4月 |
船積時期 | 2019年10月 |
保管方法 | 定温倉庫 |
ロットナンバー | 13-151-001 Lot 4 |